決断力なんていらない。
kenです。
最近色々なものが欲しくて「あれがいいかなー」「でもまだいいような…」がグルグルします。
某ゲームの主人公みたいに「これに決めた!」なんて言わず、「待つ」ということをしてます。
何か別のもので例えると、お酒やパンの作り方と同じ感じです。
迷いというのは、お酒の醸造期間・パンの発酵のような時間かな~と個人的に解釈をしてます。
人間の頭の中って機械の0or1みたいに即座に正しい選択することってできないんじゃないかなと最近思ったりします。中にはいますが、すごく冴えてる人です。僕はそういうタイプの人間ではないです笑
なので、ある程度落ち着くまで様子を見ることをしてます。
僕の場合、急がすと必ずズレたやり方を実行してしまいます。
なので、落ち着くまで待つ。結構、最善だったりします。
放置しましょう。そのうちいい答えが見つかるかもしれないです。
ネガティブな時は欲張りすぎてないかチェックする。
kenです。
雨続きで若干ユウウツです笑。
子どもの頃は無理して頑張ろう!という思考でしたが、変に無理しないことを心がけてます笑。だって明らかにムリなんだもん。(出来る人はその調子で頑張ってください!!
こういう日はできないをできる。
ですが、逆効果です。最初っからムリだからです。
無理なやり方・おかしい思考を認めずやろうとすると、益々おかしなことをします。
なので、こういう雨続きの日は、"できない"をできる日だ。と思う様にしてます。
日頃やんなきゃいけないこと、片づけなきゃいけないことばかりに目が行きがちですが、ここは敢えてやる気が出ないという状態を楽しみましょう笑。
結論、欲張りにならないことです。
欲張りモードになりすぎるときりがありません。
「今日はもうできない!!」コレを認めるだけで若干ラクです。
どうしようもないことはどうしようもない。
kenです。
コロナ、優生思想など色々と飛び交ってます。かつ、今日は雨。
メンタルが落ち気味な時、そういう規模のでかいニュースからは距離を置くようにしてます。
どうしようもないから。
どうしようもない(大切なことだから二回)
情報を見るだけで心の体力が奪われます。
無駄に消費してはあかんのです!(何故か地方弁になってしまいました。)
疲れ気味の時は休みましょう。
益々疲れる状態になる必要はありません。
人生楽しんでなんぼです。
苦しみの先にはなにもないです。。
コロナ、五輪を見て心が落ち着かないのであれば、ゆっくりしましょう。
尚更、ゆっくりです。
感染症云々かんぬんは、僕らの仕事ではありません。マスク・手洗いうがいは僕らの仕事ですが、できることとできないことの区別は心の中でハッキリさせときましょう。
不安になる系の情報から距離を置くことは悪いことではありません。
自分の心を奪われない(病まない)ようにするための防御策です。
こまめなメンテ大事。
kenです。
整理本を読んでます。
部屋は自分の頭の中を映し出す鏡だと言われます。
中身がとっ散らかってると部屋も散らかっていきます。
空間的自由と頭の中の思考は一見関係ないと思われますが、どうやら密接にリンクしてるみたいに最近は思えてきました。
昔は身体・頭も身動きが取れなくなる時があって、その時は頭が全然働かず、知らず知らずのうちに部屋がごっちゃごちゃになってました。
なので、今後は心を入れ替えたスタンスで部屋・心の整理をしていこうかと思います。
余計なことを無駄に考える癖は、もしかしたら、余計なものが沢山あるからかもしれません。ギアに油を指すように、日々スムーズに頭が回るようこまめなメンテ大事、と思った今日この頃です。
自分に期待なんてしなくていい。
kenです。
最近の私は過集中気味を克服するために、頭の中の整理することを個人的に義務付けてます。
過集中になると、どういうことになるか??
一つのことに絞り、他の事をほったらかしにしてしまうことに繋がってしまいます。
あの時、こうすれば…後悔や自責の念に陥った時に、うまく切り替えることが苦手になってしまうのです。
傍から見て下らないことかと思いますが、過集中となっている当事者としては大変重要なことだと認識をしてしまって、その精神状態から抜け出せなることが多いです。
働く場合、一転のことばかり集中してしまって他の点をほったらかしにしてしまう現象、クセは大変危険であり、このしょうな症状は周りにトラブルを生み、巻き込んでしまう原因にもなってしまうと思います。
なので、うまく切り替えるためには、自分で全部できる、他人に頼まないというクセを直すことが最善かなと思います。つまり、自分に期待しない。
でも、特別卑下する必要もない。ということも意識する。
常にできると思いつつも、できなかった場合も予想に入れておく。
常に期待しすぎると、出来なかった時のショックが大きいです。
失敗は成功の基といいますが、次に繋がるアクションを起こさなければ、基とはなりません。失敗の価値とは、結果を勝ち取った末の見方であり、止まってしまえば、失敗のままです。失敗を価値あるものにするには次のアクトが必要不可欠です。
出来ないままで終わっていいわけがありません。
そのためには希望的観測(期待)はやめましょう。
会話が不慣れな時代によく陥ってたこと、その②
kenです。
引き続き、会話ニガテだった頃に考えてたこと、陥ってた原因について少し書こうと思います。
・「どうせ否定される」と思いながら話す。
私が小さかった頃は、自分よりも優秀な人が沢山いて、私の意見は否定されがちな方でした。そういう状況に慣れてしまうと、「どうせ否定される」が前提で人と話すことになります。
つまり、なげやりモードです。
相手がもし、否定せず肯定してくれる人である場合、否定ありきで話すと、雰囲気が悪い方向へと必然的に向かいます。
相手も真摯に向き合おうとしているのに、それを真っ向から否定してしまうのです。
余計に感じが悪くなります。
容赦なく否定してきた人たちのことはすっかり忘れました。
否定してきた人らと同じ人ではないのであれば、否定される!と警戒するのではなく、寧ろ歓迎し、相手との関係性を深め合う会話をするよう心がけてみましょう。
「どうせ否定される」をやめて、相手に興味をもつ。
これが会話上達への第一歩かなと僕は思います。
会話が不慣れな時代によく陥ってたこと、その①
kenです。
昔と比べて会話に対するニガテ意識がなくなり、会話上の不自由さがなくなりつつあります。
今までの自分を振り返ってみて、これじゃ上手くいかんよな…と思うことを列挙していこうと思います。
・何かしゃべらなきゃ!と思う。
普通だと思ってましたが、今は無理になにか言わなくてもいいと思えるようになってます。
僕の勝手な持論ですが、コミュニケーションにおいて、しゃべる内容がとくになくてもいいと僕は思います。
なぜなら、自分よりも相手の方が「しゃべりたい!」「私の話を聞いて!」という欲が大きいからです。
意見を交わすときは、どうせなら、相手が持っている"欲"を叶える側の人間になりましょう!!
相手の願いを叶えてあげる方法は意外と簡単で、それは「聞く」。これだけです。
変な道具・教材は要りません。
聞く能力を使えばいい。
聞くという能力は選ばれた人しか使えない超能力ではありません。
自分の中身を押し出すと考えるより、相手に興味を示して、聞いてあげること。
・難しい話をしない。
以前の私はよく哲学的な本が好きで、そういう系の本を読んでいました。
善とはなにか?無とは?死とは?的なお話です。
哲学科などを受講してる大学生や教授は別として、そういう考えるだけで、頭が痛くなってくるテーマや話題はハッキリ言っていりません!!
会話とは楽しむものです!!
答えのない難しい問いは流れが止まります。
作業中のPCをフリーズさせるようなもんです。
迷惑極まりないです。
もっと簡単でアホらしいものでいいのです笑。
重たい話をすると一見賢そうに思われますが、向こうからすると、ウーンと思われます。腫れ物を触るように見られてしまうのです。
以前はこんな感じでしたが、今はもっとフラットな会話をするように心がけています。
上手い言葉・発言を意識するとかえって、脳が僕の場合は止まってしまいます。
バカ丁寧に敬語を使わなくてもいいのです。(ケースバイケースですが。)
難しくて重い話題より、軽くて分かり易い話題の方が共感を持ちやすいし、頭をそんなに使わずに余裕をもって会話を弾ませられます。