"わからない"は大事にしたい。
最近、資格勉強とかしてみようと思い、資格系統フロアの本棚をあさったりしてます。
そこで必ず置いてあるのが、"マンガでわかる"の本。
僕がそういう本を見るたびに思うのが、、、
"そんなに手っ取り早く答えを知りたいのか"という感情。
そういうものを読んでる人を悪く思ってません。
かく言う私もそういう系の本を読んでいるからです。
そういうシリーズのお陰でマンガ家・ストーリーライターにも仕事が入るし、一石二鳥のシリーズです。
ただし、注意してほしいと思うのが、"分かった気になる"になりやすいよ"ということ。
古典や難しい本を読んだ経験がある人には分かると思いますが、
この辺りは一体どっちの方に賛成してるのか曖昧な表現をしてる点に必ず出会います。
自分なりに考えてみたもののモヤモヤしてる点が、必ず名著・古典には必ずあります。
本を読む時、僕はこの「分かりにくい部分」が出てくることは、とても重要だと感じて読んでます。
作者の分かりやすく伝える技量不足かもしれません。
が、まだ分からない点があると気づけた…と歓ぶべき点だと僕は思います。
ソクラテスの無知の知ってやつです。
そういう重要な点がマンガでわかる本には、殆ど省かれてるケースがあります。
そりゃあ、分かりにくい、よりも、分かりやすいものがいいに決まってますからね。
そういう系の本に書かれているのは、あくまでも解説者の解釈であり、自分で考えて読んでることには余りつながってません。
僕が思う"頭の良さ"の判断基準の一つに"簡単に決めつけない"があります。
名著は様々な印象の受け取り方が、読んだ人によって分かれます。
読んだ人の年齢・抱いてる思想によって違いが分かれる、それが名著のいいところの一つだったりします。
今流行りの多様性です。一緒くたにまとめないこと。
コレが言いたかったのだと、簡単に決めつけない、分からないを大事にしてほしいのです。あのころとは違った思いが湧いてくることがたまにあります。
僕が思う生きてる内の喜びの一つに、"今まで同じ評価だったものが違う風に見える"ががあります。
「分からない=頭が悪いから」と捉えるのではなく、「"今のところ"分からない」という場合もあります。
最悪、書いた著者自身も何が言いたいのかよく分かっていない場合もあります。
まだ分からない部分について常に喜べる余裕をいつまでも持っていたいです。