nekst(ネクスト) kenのブログ

nekstは自分が勝手に造った英単語。途切れず次々(next)と書けるように、という意味を込めて。改めまして、kenです。どうぞよろしく。

"今、何にお金を使っているのか"と自分に聞いてみること

kenです。

先日、ある程度自制することを決めてから、時間の使い方について意識するようになりました。

nekst-1230.hatenablog.com

少し前までは、新作の映画・音楽などがリリースされれば、即見るようにしてたのですが、自制することを意識しだしてからは、即飛びつくことはしなくなりました。

脳内で、"これに~分使えば、余り~分しかない"みたいなトーク・脳内審議が増えたような気がします。

新作が公開されると"今見なきゃダメだ!今見なきゃ!"的な衝動・焦りに襲われることが多かったですが、今は殆ど起こらなくなりました。

 

こういう強迫観念から抜け出せたポイントとして、"その他の手段もある"と知ることが大きい気がします。

"もう~しかない"~できないとヤバい"は視野・選択範囲が無茶苦茶狭まっているから起こります。

先ほどの映画を例にすると、

今見れなくても、配信(他の手段)があります。

昔はDVD化されない映画が沢山ありましたが、メジャー映画は大抵の場合、配信でも見れます。そういうのと同じで今しかない!とか今すぐにじゃないと危険!的な焦燥感・煽りに苦しんでるのであれば、"本当に今じゃなきゃいけないのか?"と問うてみることをしてみましょう。

同じように"今、何にお金を使っているのか"とお金を出す前にいったん落ち着いて考えてみると、案外これ使わなくても平気じゃね?と思う時間や習慣が沢山浮かんできます。

少しずつでもいいので"これ要らなくないか?"というものから一旦距離を置くことをしてみましょう。

自分はこうじゃなければいけない!と思う決めつけは自分が勝手にそう決めてるだけでもう手放してもいいようなことも中には混じっているのかもしれません。。。

親父の煙草やめた話・私のゲームやめた話。

kenです。

 

長年やめたゲームをやろうかなと思ってます。

steamというゲームサービスのソフトを最近、ある友人がやってて自分もやってみようかなと検討してます。

わかっちゃいるけどやめられないことをやめる話を書きます。

まず手っ取り早いのが関連情報を消す。です。

中学~高校へと上がるとき、ゲームを止めてみようと決心した時まず行ったのが、流れてくるゲーム関係の情報をシャットアウトすることでした。

「やりたい!」という衝動が数えきれないぐらいに沢山脳から指令が出ます。

そういう脳に「これは今の私には必要ではないものだ」と教え、その命令を止めるためには自分の周りにあるゲーム関係の刺激を断ち切るのです。

つまり、人間関係で表すとその人との縁を断ち切る、ということです。

これが簡単なようで案外、難しい。。

だって、楽しいから続けているわけで、それらを切るためには相当な精神力が必要となります。

実はあるものに古くから依存してて、断ち切るにはどうすればいいのか実は模索中なのです。。。。

それで、過去によくやってたゲームを止めた時のことをここに書き、当時はどのようにして誘惑から勝ったのか書いてみてます。

自分でもいつの間にかやめることが出来て、それが何故できたのか僕にもよくわかっていない。。。取り敢えず、やめた。それだけのことなのに何故できたのかが掴めずにいます。

親父の話。

親父は子供(私)が生まれる前まではずっと煙草を吸ってたみたいです。(母から聞きました。)

親父曰く、もうやめると決心してからは、買わないことにしてやめることができたらしいのですが、シンプル過ぎて参考になりません。

でも、自分が止めたゲームのプロセスと似てるような気がします。

依存から断ち切ることはある種の成長だと僕は認識してます。

もう一段、成長するため、わかっちゃいるけど、やめられないことをもっと止めていくことを取り敢えずしていこうかと当面の目標として捉えています。

やめることは変化すること。変わることが必要だなと最近思ってる方は何か止めることをしてみてください。

パターンから外れることの難しさ。

kenです。

 

あちぃです。

今日はパターンについて気づいたことを書きます。

自分ら(人間)は快適な環境があるとそこにずっと、とどまろうとする機能があります。

分かりやすく言うと冬の季節、ずっと一日中コタツに入ってて「ここから出たくない」というような感情です。

習慣本がなんであんなにブームなのか、ずっと頭に引っかかってたのですが、ここ最近、「あれらを買う人たちはひょっとしたら現行の生活パターン(習慣)から抜け出したいのではないか」という推察をするようになりました。

自分も言われてみれば、環境への変化に対しては防御的なところがあります。

動物には適応能力がある程度備わっています。

 

現在のコロナウィルスが流行り始めたとき、「人類は生き残れるのか!?」みたいな恐怖・不安・絶望など巡りましたが、今はもう完全に慣れきってるような気がします。(個人的見解です。)

今の環境に適応済み。ということです。

 

知らず知らずのうちに、緊事宣を出されても大してビクッとしなくなってきている気がします。

 

最初は慣れない言葉・単語を聞くと「うわー!」「やばい!」となりますが、その言葉の意味・その実体を正確に見ると、冷静になることができます。

(勉強することの重要性はここにあるのかもしれません)

 

最初は痛くて辛くても、ある程度慣れていってパターン化するとそんなに焦ったり不安になったりはならなくなります。

 

人間は適応する生き物なのです。

でもそれは悪い意味でもあります。

 

慣れるとは言い換えれば、「変化がなくなる」「楽になる」と似てます。

今の現状に不満がある、自分の中にある何かが停滞してる、という時、「習慣」を手に取り、今までと違った別の行動をすることで、自分も成功するかもしれない!誰かを真似すれば、何かがうまく好転するかもしれない!

と考えながら習慣本を買うのかもしれません。(知らんけど

 

パターンから外れたら悪いことなのでしょうか??

僕の意見ですが、悪いことではないと思ってます。むしろ良いことだと思います。

学校教育などではパターンを乱さないこと、一糸乱れぬ統一感が美徳とされてるような気がします。

 

価値観が固定化すると思考がマンネリ状態になります。

つまり、頑固じじいと同じになるわけです。(本当のじじいになるのではなく、中身(思考回路)はほぼ一緒になるという意味です。)

なので、絶えず価値観を更新し続けましょう。

 

今、~しないといけない!!~は悪い!!みたいな価値観・思想ばかりに染まってるのであれば、「悪いものにも、いい部分があるのではないか?」と疑ってみる。

 

毎年、同じ様なものに対して「これが好き!」「あれがほしい!」ばかりを思うのではなく、数年前と同じ反応するだけではなく、「なにか気に入らない…」とか「もしかしたら、他にも面白そうなものがあるかもしれない!」と視野を広げる練習・問いかけることを心がけてみてください。

勝負事に勝ったことがない気がする。

kenです。

今、ある本を読んでます。こちらです。

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将棋棋士羽生善治さんと、サッカー日本代表監督をした岡田武史さんの勝負をテーマにした対談本です。

最近、「俺ってあらゆる勝負事に勝ったことがなんじゃないか?」という気持ちが湧いてきています。勝利こそがすべて!と言いたいわけじゃありませんが、なにかこのままでは不味いという気持ちが膨らむのです。。。

こういうのなんて言うんだろう。。。

悩み?コンプレックス??

無駄に悩まないために、何かに熱中していることがいいのですが、てんかんの影響なのか、興奮があまりしなくなってる感じがします。。

根中する対象を模索中です。

あると便利!は無くてもヘーキ。

kenです。

数日、おさぼりしてました。

僕は騙されやすい人だと思ってます。

それだけ、単純なのかもしれません、

なので、何事もまず疑ってかかるようにしてます。

KロナWクチン(敢えて伏字)の安全性・有効性についても、個人的には疑ってます。

なぜならば、急ピッチでの作成・開発されたものなので、安全性がまだ照明されてません。

絶対に打たない!!という断言・宣言でもありません。

なので、正確に言うと、「今のところは打たない」です。

中期的・長期的に見守ることにしばらくはしてみるということをします。

 

今日は騙されやすいことについて書こうと思います。

まずは数字を見てみましょう。

騙されるまでの根底には必ず、感情的もしくは妄信的な精神状態、つまり、"焦り"があります。

焦り・恐怖解消のためのワクチン、ではありません。

インフルエンザ等のワクチンは十年ぐらい長期的に研究分析をされデータの蓄積・動物実験・治験のステップを踏んだ上で、我々国民に供給されます。

そういう根も葉もない噂・根拠のないものに対しては必ず、"なぜそう言えるのか"と照明できるものを必ず見てみてください。

テレビなどで映し出されるものは大抵、数字ではなく印象・イメージでものを語ってるものが殆どです。その方が分かり易いからでしょうが、見た目・カタチだけで考えるのは、非常に危ないです。

そういう悪いビジネスを平気でする人らは大抵高圧的で、かつ正当化する技術・ロジック構築が天才的に上手いため、「あなたの方が間違ってる!」と他人を否定して、何かと言いくるめようとします。(こういうのをサイコパスというらしいです。

もし、近くにそういう人がいたら出来るだけ注意して距離をとりましょう。

今日のタイトルは僕がお気に入りのPodcastやってる男性がぼやいてた言葉です。

これ聞いた時ほんとそうって思いました。😂😂

 

「無料です」「残りが少ないです」「急いでください」「みなさん買われていますよ?」は無理やり売るときの言葉です。

ついつい変なものを買って、いつまでも学んでないな、と毎度後悔してる方はこの言葉を思い出してみてください。

「自信」なんて実際の所"ない"のかもしれない。

kenです。

 

皆さん自信ってありますか?

僕はないです。

探す必要も作る必要もないんじゃないかと思ってるレベルです。

自信について、なぜそういう風に考えるのか……

ありとあらゆる自信本・自己啓発が巷に溢れてます。

一時期、恥ずかしながら熱心に読んでた時期がありました。

それだけ、沢山の書籍が出てきているということは裏を返せば

それだけ、あやふやな存在なのだと思うのです。

つまり、各々自信という定義が違う、ということ。

僕が思う「自信」と似た概念・言葉に、「神様」があります。

神様については一旦置いといて…

僕が言いたいのは、自分(神様)を信じようと信じまいと勝手。ということ。

 

だから、神について

"いる(自信を持て!)"と言う人。

"いない(自信なんかない)と言う人。

が存在しているだけであり、そんなに問題視する必要なんてない、と思ってます。

そういう言葉(自信)があるというだけです。

ある種の派閥、好みの問題です。(たけのこが好きorきのこが好きと同じ)

 

今は簡単に検索して情報を探せる時代になってます。

よろしいことだと、思いますが、具体的に探す必要はないと僕は思います。

存在があやふやなのです。

幸せというのも同じかと思います。

もし、自信がない・自分は不幸だと強く思い込んでる人がもし、これを読んでいたら、少し具体的に探そうと無理になっていないか?と問いかけることをしてみてください。

 

久しぶりに詩集を読んだ。

kenです。

 

方向性を変えて詩集を久しぶりに読んでおりますっ!

詩集で好きなのは、最果タヒさん。

あと知ってるのは、文月悠光さん、谷川俊太郎さんぐらい。

で、今読んでる詩集は『ビートたけし詩集 僕は馬鹿になった』です。

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僕の場合、大抵タイトルでビビッとなったものを選ぶタイプです。

私は彼の事をバカだなこいつと思ったことは意外と少ない。というかないかもしれない

そんな彼が作った詩を何故か読んでみたくなって、図書館で借りて読んだりしてます。

 

詩集は気楽でいいです。

何より考えなくていい。。(バカ

詩に感動やメッセージは要らないと思って読んでます。

詩は"うた"とも読める。

読者の感じ方次第で無限に解釈が広がる。

言語世界が彩る意味の無い"遊び"がたまに好きだったりします。。

(自分でも何言ってんのかよくわかんない)