会話が不慣れな時代によく陥ってたこと、その①
kenです。
昔と比べて会話に対するニガテ意識がなくなり、会話上の不自由さがなくなりつつあります。
今までの自分を振り返ってみて、これじゃ上手くいかんよな…と思うことを列挙していこうと思います。
・何かしゃべらなきゃ!と思う。
普通だと思ってましたが、今は無理になにか言わなくてもいいと思えるようになってます。
僕の勝手な持論ですが、コミュニケーションにおいて、しゃべる内容がとくになくてもいいと僕は思います。
なぜなら、自分よりも相手の方が「しゃべりたい!」「私の話を聞いて!」という欲が大きいからです。
意見を交わすときは、どうせなら、相手が持っている"欲"を叶える側の人間になりましょう!!
相手の願いを叶えてあげる方法は意外と簡単で、それは「聞く」。これだけです。
変な道具・教材は要りません。
聞く能力を使えばいい。
聞くという能力は選ばれた人しか使えない超能力ではありません。
自分の中身を押し出すと考えるより、相手に興味を示して、聞いてあげること。
・難しい話をしない。
以前の私はよく哲学的な本が好きで、そういう系の本を読んでいました。
善とはなにか?無とは?死とは?的なお話です。
哲学科などを受講してる大学生や教授は別として、そういう考えるだけで、頭が痛くなってくるテーマや話題はハッキリ言っていりません!!
会話とは楽しむものです!!
答えのない難しい問いは流れが止まります。
作業中のPCをフリーズさせるようなもんです。
迷惑極まりないです。
もっと簡単でアホらしいものでいいのです笑。
重たい話をすると一見賢そうに思われますが、向こうからすると、ウーンと思われます。腫れ物を触るように見られてしまうのです。
以前はこんな感じでしたが、今はもっとフラットな会話をするように心がけています。
上手い言葉・発言を意識するとかえって、脳が僕の場合は止まってしまいます。
バカ丁寧に敬語を使わなくてもいいのです。(ケースバイケースですが。)
難しくて重い話題より、軽くて分かり易い話題の方が共感を持ちやすいし、頭をそんなに使わずに余裕をもって会話を弾ませられます。
"今でしょ"系台詞は衝動的判断を正当化してるみたいで、キライ。
kenです。
ものや本を買う時、"今欲しい"で買わないようにしてます。
僕は今まで衝動買いしても大抵あまりいいことがありませんでした。
正直、直感で選んでアタリを引く人はうらやましくてたまりません笑。
なので、買う前に僕は「仮に買った後、それが未来にどの程度影響をもたらすのか?」
を先に考え、想定するようにしてます。
ある種のイメトレみたいなもんですね。
実際は未だ買ってないけど、買ったことにする。
「あ、別にいらねーわ」となったら、リストから外します。
某予備校講師の放つ言葉はあまり好きではありません。
けど、否定するつもりで言ってるワケではありません。
今しかない、は確かにうんうんと頷ける部分がありますが、今ほしいものは今じゃなきゃ買えないケースは殆どの場合、ありません。(僕が考える中では)
よっぽどのレアものでも数か月、数年したら値段が安くなってすんなり買えることがほとんどになってます。
決断を急がせると大体ずれた行動を犯します。
僕は高スペックな脳の持ち主ではないので、大体遅らせます。
もしくは、どんな理由でほしいのか自分でも納得のいく答えが出ない限り、購入は避けるようになりました。
これは無駄遣いを減らすことにも繋がってると自分では思っているし、いけないことだとは全然思っていません。
そもそも、先延ばしは全部悪いことなのかとも考えるようにも最近なりました。
今できないことは沢山あります。その状態は悪いことではありません。
障がい者として生まれ、人はそこまで完ぺきではない例、人を沢山見てきました。
今できない所について、僕は別にネガティブに捉える必要はないと思っています。
できる所から始めて、少しずつできるようにするか、できなくても別の道・手段はあるか探してみる。ということをしてみてください。
今でしょは、裏を返せば、今しか見えてないことを指してます。
そんなモードで、自分の中の欠点を見てしまうとマイナス点ばかりに目が行ってしまい、自己卑下に陥り、やる気や自信がどんどん落ちていきます。
どこかの本で、感情を表す言葉のうち、ネガティブ表現を指す言葉は7割もあると聞いたことがあります。
つまり、そのぐらい私たち人間は基本心配性なのです。
それが引き金となって、未来を開拓し、今に至っている面もあるのですが、心配性を膨らませる前に、どこかで切り替えをしないといけません。
現代は、なにかと心配にさせる情報で溢れています。
決してポジティブにさせない、未来に対する不安と恐怖を煽るものだらけです。
不安が増幅すると、それらから逃げるために、衝動的判断で、ものを買うようになっています。(経験則)
もし、これを買わなければいけない!的な妄想に駆られて苦しんでる方がいたら、一旦数回深呼吸をして、視野が狭くなっていないか冷静になってみましょう。
一番いい方法は本を読むこと(思考すること)です。
前頭前野を働かせてみましょう。恐怖や不安は前頭前野ではなく、野生動物が使う脳エリアです。
皆さん(僕も含め)勉強しましょうと言いたい話でした笑。
マルチタスク脳になるために必要なこと。
kenです。
ある施設長さんから、「マルチタスクで物事を進めることに慣れましょう」という助言を頂きました。最近は一つの点にこだわらぬように意識してます。
発達障害グレーゾーン的な所があり、過集中気味になります。
過集中にならぬためにやることは”ぶれる”が必要です。
ぶれるには、他に気になる対象を増やすことです。
目の前にある”それしかない”から切り替えるには様々な方向性が必要です。
別のもので例えるとするなら、TVのチャンネルみたいに違う局に替えることです。
いつまでも、○○テレビじゃないといけないワケなどありません。
見てて辛い場面やシーン・お知らせが届いたら、変えればいいのです!!
ずっと辛かったことを覗き見ることはやめましょう!!
ずっと辛いことを見続ける・ひたすらガマンすることは学校や上司(上に位置する人)から散々言われてきました。
が、完全にウソだと僕は思ってます。
ずる賢い人が作った特有の論理だと思います。
私は、少し前まで本気で信じてた神話ですが、今はその神話は滅んだことにしてます。
普段から、マルチタスク脳になるためには、興味を増やす。これが一番いい方法だと思います。
興味を増やすことから自分が変わっていく、新しいドラマ・人生が始まる気がします。
当面の目標。②
kenです。
当面の目標その②です。
・真面目さをやめる。
なれなれしいのも問題ですが、変に硬くなり過ぎないこと。
私にとっては、マナーだと思ってやっていたことですが、エネルギーがもたないのがいい加減わかってきました笑。
真面目さをやめる。これは自分のためでもあるし、相手のためでもある。
頭・身体が硬直している状態は、相手にとっては非常に取っ付きづらい状態です。
今まで会社・職場などは、基本ピリピリした状態が好ましいとされてきましたが、そう言った気風が徹底的になされると「会社いきたくないよ」という反発(心の声)が頭・心を冒して、最悪、鬱などになってしまいます。(僕は何人かこういうケースになった方を何名か知っています)
なので、これは未来のために真面目さをやめる、ことをします。
遊んでもいい。楽しんではいけないなんて世間が勝手に作ったウソ。
自分の人生なんだから楽しんでなんぼ。
自分の人生は自分が主人公。
僕が好きなバンドのドラマーさんが仰ってた言葉で「自分の人生は自分しかいない。」があってほんと真理を突いてる言葉だと心に刻んでおります。
ナルシシズムに染まっていくと言う意思表示ではありません。
出来る事なら、相手を幸せにして、自分も幸せ。
出来ない場合もあるけど、そういう時こそ、力を抜いて、自己犠牲の精神にそまってないかと整理することが大事。
我慢は日本の美徳とされて今に至るまで残り続けていますが、バランスを崩すと不幸になります。
何事もバランスです。
僕は未だに極端に考える癖があります。
そういう性格がポッと現れてきます。
自分の真面目な部分が出てきたら「やぁ、また会ったね」と知り合いに久しぶりに会った、ぐらいの心構えでいましょう。
つまり、そういう自分を否定しない、無理に抑え込まないようにする、
そういう自分もまたかけがえのないものなのだ、という認識でいきましょうっ!
私が思う、性格を変える一番いい方法は、未だやってないことをやる、ということかな、と思います。
まだやってないことは自分が気づかないだけで、もしかしたら沢山あるかもしれません。そんなのないよ!という方は探せばあると思います。
探さないだけです。真面目さから一刻も早く抜け出して、楽しそうな世界に入り込みましょうっ!!
当面の目標。①
kenです。
ここ最近気づいた失敗、ちょっとした経験、課題などから個人的な目標を上げようと思います。
コミュニケーションに大分慣れてきて、肩に力が入ったりすることが最近はなくなりました。自分の意思表示も大事ですが、会話の時に重要なのは、「相手に興味を持つこと」だと思います。
対象が自分ばかりがとターン周りが止まってしまいます。
(ターンテーブルのターンですね。ポケモンゲームやカードゲームのターンです。)
自分語りが始まってしまうと、回ってる会話がそこで止まってしまうのです。
会話慣れはしましたが、未だに自分を押そうとしてるところがまだあります笑。
当面の目標1
相手に譲る。(コミュニケーション以外でも)
ガツガツしてる子は、場合によっては嫌われてしまいます。
相手の番・タイミングを読んで譲ってあげるクセを当分は持っておきたい、と思います。
とりあえず、1つ目を書きました。
引き続き②を書こうと思います。
頭ではこれはいけないなと思っていても、いつまでも頭の中だと忘れてしまいます。
明文化して改めて、わかることが僕は多いのでここに残しておきます。
"君なら何でもできる"的言葉は前向きではない。
kenです。
よく"君はまだ若いのだから…"とたまに言われます。
正直ビミョーな気持ち(大して嬉しくない感情)になります。
今は何かと自由と言われる時代です。
何してもいい。やりたいことをやれが流行ってます。
僕はとてもいい傾向だと思いますが、その一方では"なにをしたらいいのかわかりません"という悩みにもなります。
今は選択肢が多くなって、自由過ぎるがために、こういった悩みで頭がこんがらがってる人は珍しくありません。僕もそんあ感じです。悪いことだとは思ってません。
希望的な言葉をそのまますんなり受け取れるほど、人間は単純じゃないと思います。
めんどくさい話になってしまいました。
つまり、投げやりな発言はニガテって話でした。
若いんだから…は僕にとっては「そうはいわれてもねー」ぐらいの印象です若。
公的扶助(保険)について云々かんぬん。
kenです。
今日は修理してもらった身体障がい者用の装具をもらいに十条という場所の近くにある病院へ行ってきました。
何事も徹底的な準備が大事だなぁと実感しました。
なぜ、これを思い知ったかというと、保険控除の手続きを自分が勘違いをして何回か実費で払ってたからです。。。
私が受けてる身体障害者装具を作っている会社の修理費は保険対象なのに、わざわざ払ってたということ、、、実にあほらしい話ですね笑。
保険とか、公的扶助関係は、自分から役所に聞いてこないと、対応してくれません。。
ちゃんと"正しく、情報を集めて、見なければいけない"のです。(←ここ重要
この様な事態に陥った時、こういう制度がありますよ。こういう扶助がありますよなど詳細な解説は学校などが進んで教えてあげるべきな所なのですが、殆どの場合、教えてくれることはありません。
なので、今の時代、自ら知りに行くことはとても大事になってくるかと個人的に思います。
今知ってることは、正しい認識なのか?今は新しいルール・制度が導入されてるのかもしれない、と一旦考えてみるのです。
歴史やドキュメンタリー番組を見ると、最初は少数派で声を上げても、余り対象にはならず終わってたけど、裁判やその他大勢からの署名を集めることによって、新しい制度が考案されたり、そういった制度があるおかげで、私のような弱者がこぼれ落ちることなく、平穏に日々を過ごせていられるのです。
ですが、障害年金・その他諸々の福祉制度がいつまでも永遠にあるとは思ってはいけません。日本はカツカツです。
親父が"常々財政が厳しくなると真っ先に切られるのは福祉からだからな"と注意を促す言葉をもらいました。
どんな状況になっても、最終的には自分の力で生きていかなければなりません。
これ(制度)があるから大丈夫!!と開き直ってしまう人はアブナイです。
生まれつき障がいを患って生まれてきましたが、母親はよく障がい者が受けられる扶助・控除制度について調べていたなと感心することが今日はできました。
思った以上に様々な受けられる制度が沢山あります。その財源は皆様からの税金からもらっているので、いい気にならぬよう、自戒して生きていこう、そう思えた日でした。